くびき野レールパークについて

旧百間町駅舎跡付近より現存施設を見る。 旧車庫(右)と、2013年秋にリニューアルした頸城鉄道旧本社(左)
旧百間町駅舎跡付近より現存施設を見る。 旧車庫(右)と、2013年秋にリニューアルした頸城鉄道旧本社(左)

頸城鉄道を御存知ですか?

現在のJR信越本線黒井駅の東側から保倉川の流れにほぼ沿って、北越急行ほくほく線うらがわら駅付近までの15kmを結んでいた鉄道が、かつてありました。

その鉄道で使われていた客車には、上越地方の皆さんならばほぼ間違いなく御存知の、“○にアルファベットのK(マルケー)”のロゴマークが描かれていたのです。

そう、その鉄道とは現在の「頸城自動車」(頸城バス)の前身である「頸城鉄道(くびきてつどう)」です。

 

頸城鉄道の歴史を大雑把に説明すると、1914(大正3)年10月1日、新黒井~下保倉間13.8kmが先に開業。後の1916(大正5)年5月5日には、下保倉~浦川原間1.2kmが開業しました。なお、浦川原から先の安塚村(安塚町→現・上越市安塚区)への延伸免許も取得していたものの、これは実現せず免許も失効しています。

開業当時から貴重な交通手段の一つとして、旅客だけでなく米などの貨物輸送にも大活躍しましたが、第二次世界大戦後は道路網の発達や道路改修などにより、輸送量が減少してしまいました。1968(昭和43)年10月1日に新黒井~百間町間の5.4kmおよび飯室~浦川原間の3.7kmが廃止となり、残された百間町~飯室間も1971(昭和46)年5月2日に廃止となったのです。

頸城鉄道線路線図。なお、北越急行線(犀潟~六日町間)は1997年春開業である。(クリックで拡大)
頸城鉄道線路線図。なお、北越急行線(犀潟~六日町間)は1997年春開業である。(クリックで拡大)

廃止後、1966(昭和41)年まで活躍していた2号蒸気機関車が埼玉県の西武鉄道山口線に移籍した(後に上越に里帰り)以外、車両の行方はほぼ分からなかったといいます。

全線廃止から30年余りが経った2004(平成16)年、奇跡は起こりました。近畿地方のとある山奥に、人知れず静かに保管されていたDC92やホジ3、ハ6といった貴重な車両達が頸城野に里帰りしたのです。

そして2005(平成17)年6月、これらの車両達がついに一般公開され、その後年に数回の定期公開を実施しています。

尚、2007年頃からは順次動態保存に移行し、2012年秋には待望のホジ3の動態復活が実現しました。

軽便鉄道とは?

頸城鉄道は俗に「軽便鉄道(けいべんてつどう)」と呼ばれる規格で建設されました。

「軽便鉄道」は大雑把にいえば、建設費や維持費の抑制策として、現在のJR在来線などと比べて低規格で建設された鉄道のことです。具体的には、軽量なレールを用いたり(新幹線は60kgレール、JR在来線では主に40~50kgレールを用いているのに対し、軽便鉄道では主に12~15kgレールを使用)、急曲線や急勾配のある線形を用いたりしています。また一番分かりやすい点として、軌間(左右のレールの間隔)が1,067mm未満と、現在のJR在来線と比較して狭いことが挙げられます。(頸城鉄道など、その多くは762mmを採用していた)

それ故に最高速度は低く、車両も小型のものが使用されるため、輸送力が小さいことが特徴です。

 

日本では1900年代末頃に爆発的に普及したものの、鉄道の長所である高速大量輸送能力に乏しいため、1920年代から縮小傾向を迎え、第二次世界大戦中の戦時体制下では一部が「不要不急線」として休止・廃止されました。戦後は自動車の普及や道路網の発達・整備などによってさらに減少が進み、1970年代までにほぼ全てが廃止されています。

現在、日本に普通鉄道線として残る軽便鉄道は、三岐鉄道北勢線、四日市あすなろう鉄道内部・八王子線、黒部峡谷鉄道の3路線(共に762mm軌間)のみです。

(このほかに工事用軌道として国土交通省立山砂防工事専用軌道が、森林軌道として安房森林軌道などがあります)

軌間について(クリックで拡大)
軌間について(クリックで拡大)

くびき野レールパークについて

くびき野レールパークは、かつての頸城鉄道の中心駅であった「百間町(ひゃっけんまち)駅」や機関区の跡地にあり、2号蒸気機関車やDC92、ホジ3などの頸城鉄道で活躍した貴重な車両たちを保存しています。構内には頸城鉄道旧本社屋や一部の車庫建屋が今も解体されずに残り、現役当時の雰囲気を今に伝えます。

 

◆車両展示資料館(旧車庫)

廃止後も解体されずに残っていた、旧車庫の建物を改装して使用しています。

壁や天井はレールパーク開設前に更新していますが、鉄道施設特有のどこか独特で雑然とした雰囲気が伝わってくるかもしれません。

館内には保存車両のほぼ全てを格納しており、現状では乗車体験時の乗降場所にもなります。

車両展示資料館周辺の構内には全長数百メートルの線路が復元され、定期公開時にはこれらの車両を間近に見ることができます。(公開日はこちらをご覧ください)

 

◆軽便鉄道資料館(旧本社)

頸城鉄道旧本社屋は頸城自動車の創立100周年事業の一環として2013(平成25)年にリニューアルされ、建設当時の美しい姿が蘇りました。旧本社内は「軽便鉄道資料館」として整備され、開業当時のポスターや駅名標、ナンバープレートなどの貴重な鉄道資料の数々を展示しています。(不定期公開)

歴史、思い出をいつまでも伝えたい。夢を花咲かせたい。

現在はDC92とホジ3を中心とした動態保存を行っており、2号蒸気機関車やハ6なども公開時に運転する場合があります。

(注:2号蒸気機関車は無火。運転の内容や整備状況によって運転を行わない車両が発生する場合があります)

→保存車両情報はこちらへ。

 

 

明治・大正から昭和、そして平成の時代を走り続けているレトロな車両には、たくさんの歴史や思い出、そして夢が詰まっています。

その一方で、現在ではイベント時等に近隣の鉄道会社の社員やOB、新潟大学鉄道研究部の学生さん、近隣の鉄道保存団体のスタッフなどが応援に駆け付けておりますが、保存に携わる人間の高齢化や技術の継承が問題になっているという現実を忘れてはなりません。

 

日本を代表する軽便鉄道のひとつであろう頸城鉄道を後世に伝え、夢をひとつひとつ花咲かせる。くびき野レールパークがそんな場であればと願っています。

公開日には、くびき野レールパークへどうぞお出かけ下さい。皆様のご来場をお待ちしております。

構内略図(2011年6月現在)

(クリックで拡大)
(クリックで拡大)

構内や最寄りの施設など

・トイレ…機関庫内にございます(洋式・水洗)

 

・車椅子対応設備…ございません(車両やホームも車椅子のままのご乗車には対応しておりません)

 

・バス停…「百間町南」バス停へ徒歩1~2分、「海洋センター」バス停へ徒歩10分弱(アクセスのページもご覧下さい)

 

・鉄道駅…信越線「犀潟」駅もしくは「黒井」駅、北越急行線「くびき」駅から共に徒歩1時間程度(駅からの徒歩や自転車でのお越しはお勧めしません)

 

・駐車場…機関庫付近に10台程度(バス折返場も兼ねていますので、端の方に停めて下さい。尚、ご使用いただけない場合があります)、もしくは「JAえちご上越」駐車場(徒歩1~2分)

 

・飲料自動販売機…徒歩1分農協頸北経済センター前に小型1台。徒歩10分程度の「ユートピアくびき希望館」前に数台。

 

・商店…徒歩圏内にありますが、休日休業。

 

・コンビニエンスストア…自動車で10分程度が目安(廃線跡の道路を新黒井方向に4km位進むと、通り沿い(工業団地付近)に1軒あります。また南へ3~4km位離れた国道253号線沿いに数軒あります)

 

・休日営業のスーパーマーケットや弁当店…自動車で20分程度が目安(直江津周辺もしくは国道8号線大潟付近まで行かないとありません)

 

・周辺のおもな観光…

「坂口記念館」:レールパークから車で5分。応用微生物学の世界的権威であり、また酒の博士としても知られている坂口謹一郎の遺品や業績などを紹介。頸城杜氏の酒造り文化を今に伝える。新潟県内の日本酒も試飲できる。

「大池いこいの森」:レールパークから車で10分強。新潟県景勝100選にも選ばれていて、大池、小池の2つの池とその周囲には豊かな自然がある、大規模な野外活動施設。ジョギング、サイクリング、キャンプ等を楽しめる。

「岩の原葡萄園」:レールパークから車で30分程度。日本のぶどうワインの父である川上善兵衛が、1890(明治23)年に自宅の庭園に鍬を入れ、葡萄園を開園。以来3世紀に亘り、高品質の国産ワインを造りだしている。1895(明治28)年落成の第1号石蔵は国の登録有形文化財に指定されている。

 

◆近隣店舗は休日休業です。コンビニエンスストアや休日営業のスーパーが徒歩圏内に一切ありません。

 会場内で飲食出店の案内がある日を除き、飲料や食料等は持参下さい。

◆くびき野レールパークは、通常非公開です。

見学は公開日にお越し下さい。 (公開日以外の来訪は対応致しかねます)

 

◆よく頂くご質問はこちらです

参考文献

・RM LIBRARY「頸城鉄道」 (梅村正明/ネコ・パブリッシング刊)

・新 消えた轍(上信越編) (寺田裕一/ネコ・パブリッシング刊)

・鉄道ダイヤ情報2005年8月号 P.42-49(交通新聞社刊)

 

最終更新 2016年6月18日