集義園瀧本邸について

黒塀に囲まれた瀧本邸は上越市を代表する豪農の館です。

家主である瀧本家は大瀁(おおぶけ)郷開墾*から頸城の地で栄えた大地主で、頸城村長や新潟県議会議員を輩出している名家です。

表門は武家屋敷の表門に使われていたものと同じ形式の薬医門(やくいもん)と呼ばれる造りで、迫力と威厳を感じさせます。主屋は現在残っていませんが、囲むようにして物置、蔵、井戸小屋が残されています。

主屋跡の左奥に入ると、伝統的な書院造りの離れ「懐徳亭」が佇んでいます。

庭園と調和したこの離れは大正2 (1913) 年に知命堂病院創始者瀬尾玄弘氏が高田市内に建てられたもので、昭和15 (1940) 年にほぼ完璧に移築復元されました。平成24 (2012) 年8月13日には国の登録有形文化財として登録されています。

これらの建物の背景には、上越市で有数の規模の回遊式日本庭園が広がっています。たくさんの木々や、池、滝のあとのほか、築山に東屋、腰掛待合、茶室がその姿を残しており、「懐徳亭」からの眺めもこの庭園の魅力です。

*大瀁郷開墾

現在の上越市頸城区・大潟区・吉川区にまたがる大規模水田開発事業。

戦 乱の世を終えた江戸時代、高田藩松平家の主導により寛永14 (1637) 年から延宝6 (1678)年までの3期にわたって進められ、河川付替えや用水開削が行われた。新田開発による石高は16455石と伝えられ、近世大名が作れてしまう規 模の増産を藩内で実現した。


◆瀧本邸は、通常非公開です。

見学は公開日にお越し下さい。 (公開日以外の急な来訪は対応致しかねます)


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